突然死ではない?

今日は妻の誕生日。
生きていれば41歳。

今年もささやかだけど、花とケーキでお祝い。
この先もずっと続けていくつもりだけど、実はこれって妻の為じゃなく、
自分の贖罪の為にやってるのかもしれない。

奥様をガンで早くに亡くしたある人のブログで、こんな文面があった。
ガン等、死が確定していて、それまでの間に
したい事をしたり、いろいろ準備が出来る死。
これをお別れが言える死と言う。

一方、自死も含めて何の準備も出来ず、ある日唐突に訪れる死。
当然、お別れも言えない。

どちらがつらいとか比較出来るものじゃない。

どうやっても避けられない死に向かってカウントダウンされるような
状況は、心身ともにとてもついていけないと思う。

そういう人から自死を見ると、生きられる可能性があったのに勿体無いとか思うのかな。

どっちが正しいとか言うのはナンセンス。


と、自死は突然死に含まれると言ったけど、
果たして自分の場合はどうなのか。

確かに妻はある日突然逝ってしまった。
朝、普通に会話してたのに夜には帰らぬ人になっていた。

でも本当に僕に自死への準備期間はなかったのか。

妻が死にたいと言ったり、自死サイトを徘徊してるのを
咎めたりしなかった。
ある程度、予測してたんじゃないか。
毎日、朝起きて妻が自死してないか確認する日々もあった。

妻が苦しんでる姿を見て、一刻も早く妻を解放してあげたい思いから、
例え自死でもかまわないと言う意識があったのかもしれない。

いや、妻の解放じゃなく、本当は自分が解放されたかったんじゃないか。

何と言う自己中心的な考えだろう。
偽善者もいいとこだ。

この思いは妻が亡くなってからずっと消えないでいる。
大切な人の自死が何を意味するのか、
自分に何が訪れるのか、全く分かっていなかった。

だから、妻の死はひとくくりに突然死とは言えない。

悔やんでも悔やみきれない、どれだけ謝っても足りない。

妻の苦しみや、自分の罪深さを考えれば、
今の身体の状態など小さな事に思えて来る。

今日、こういう考え方が浮かんだのは、
身体の事で沈んでいた僕への
実は妻からの励ましなのかな・・・

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分かります

るい37さんへ

奥様は生きていれば、41歳だったのですね。
配偶者が苦しんでいるときに、もっと自分が何かできたのではないかという後悔は当然あると思います。
私も主人の自死を止められたかもしれない手段について考えない日はありません。
苦しんでいる状態からは、本人が解放されたいし、側にいる人もふとそうかなと思ってしまっている状態は無理もありません。
罪の念は頭から離れないかもしれませんが、お互い前を向いて生きていけたら良いですね。

ふぅさんへ

こんばんは。

ありがとうございます。
生きられる命と言っても、とても生きているとは言えない状況では
それはもう生きられるとは言えない気がします。

この思いをぶつける先はやはり病魔でしょうね。
そこだけはぶれていません。

この世に遺され、これまで苦しんで来た甲斐あって?
ちょっとやそっとでは動じない強さを身に着けた気はします。
それでも落ちるポイントは変わらず存在しています。

いつも妻を感じられるように努力したいものです。


チワワさんへ

自分が出来る事を惜しまず、精一杯やったかと聞かれると、
どこまで行ってもやり切ったとは言えないんでしょうね。

どうしても「可能性」と言う言葉に苛まれます。

配偶者が苦しんでいる状態を一刻でも早く抜け出したい、
その思いだけが暴走して、正常な思考が出来なくなるのかもしれません。

罪はもう自分の一部になってしまっているので、
それを抱えて進んでいくしかないのでしょう。

愛故と・・・

初めまして、そして失礼ながら・・・。

亡くなったパートナー様は、るい37様を愛していたのだと思いたい・・・です。
もうこれ以上自分のことで苦しめたくない。苦しむ自分をみての、他殺や心中という罪を犯させたくなかったのだと・・・。大丈夫だよ、私は一人で逝けるよ、驚かないでね・・・そんなメッセージを発信していたのだと思います。 
病気が引き起こした間違った行動だったと思います。その行動はあまりにも多くの傷跡を残した・・・。
でも、あなたは、その愛に、今も包まれているのだと、私は思います。

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Re: 愛故と・・・

はじめまして。

コメントありがとうございます。

「一人で逝けるよ」、あまりに切ない思いです。
一人だけで逝かせてしまった無念さが未だに押し寄せます。

世間一般には間違った行動だと思いますが、それを全否定してしまっては、
妻が可哀想すぎます。
もう、本当にそれしかなかった、そこまで追い込まれていたのです。

妻の遺したもの、確かに傷は大きいですが、
その愛を感じて生きられるようにしたいと思います。

runさんへ

いつからか、世間向けに仮面を被る事が出来るようになりましたね。
いや、そうしなければ間違いなく生きていけない、
生きていても世捨て人になっていた事でしょう。

感情を素直に出す事もますます苦手になりました。
妙にいつも冷静な人になっています。世間の事なんてどーでもいい、
まるで関心がありません。

慰めや同情はかえって迷惑ですよね。同情する方から見下されているような
気になるので、情緒不安定が加速します。

私も本音をありのままに出せるのはここだけです。
誰にも一生言えない黒い自分の呟きをどうしても抑えられない時があります。

御嶽山の件は、父方の親戚が木曽地方にありますので、他人事ではありません。

亡くなった方達は、あの日、御嶽山に行くように生まれた時から決まっていたのでしょう。
納得など出来ないと思いますが、受け入れるしかない、これが現実です。




確かに…

るい37さんへ

確かに自死は突然死ではないと思います。
よりよく生きたいのに思うように生きられない。
その苦しみゆえに死ぬしかないと思い詰め、
自死に至るまで、
人によってさまざまな長さの時間を過ごすのだと
思います。

私も息子の苦しみを目の当たりにする長い年月のなかで
息子も自分も解放されたいと強く感じました。
そう感じたとき、一瞬ぞっとしたことを今も覚えています。
でも
人間は弱いものです。
死ぬほどの苦しみに耐え続けたり、
乗り越えたりする力を
多くの人はそんなに持ち合わせていないと
私はそう思います。
ご自分を責めないでください。

もちろん、私も解放されたいと願った自分を
許せているかと言えば、
毎日仏壇の前の写真に向かって
ごめんねと言い続けているので、
許せていないのでしょう。

自分を責める気持ちもあれば
おこがましい、人間にはできないこともたくさんあると
自分に語りかけることもあります。

生きていてくれたら…と思うたびに、
果たして息子にとって
生き続けることの苦痛はいかほどであったのかと
そう思うと
何がよかったのか…
わかりません。
息子は私の苦しみも一緒に天国に持って行ってくれたのだと
息子が旅立った直後の放心状態の頭で感じました。

息子のいない現実は耐えがたいけれど
この葛藤に、これから一生
付き合って生きて行くこと
それだけで十分に
許されるのではないかと感じます。

お体大事になさってください。
少しでも日々過ごしやすくなりますよう
祈ります。

なつかしい金木犀の香りが秋の深まりを教えてくれ
一瞬、心が慰められます。

合掌

sue





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sueさんへ

よりよく生きたいのに、健康寿命があまりにも早く終わってしまっては、
その先を考えたらこの結果は必然なのだと思います。

人間に出来る事などたかがしれています。
そう割り切らないと、とてもこの状況を生き抜く事が出来ません。

亡くなった本人も遺された人も、ただただ、悪夢のような毎日から逃れたい、
その思いしかありません。結果として大きな傷跡が残りましたが、
少なくとも本人は、死ぬよりつらい状況からは開放されたのだと感じています。

早くにこの世でのお別れが訪れたわけですが、
この続きはあの世でゆっくりと紡いでいきたいと思います。
妻の遺書にはさようならは無く、「またね」となっていたので、
それが叶う事だけを支えにしていこうと思います。

sueさんも、ご子息が苦しみから解放される邪魔をしなくて済んだのだと
そう考えてもいいと思います。
自分を責めても何も始まりません。

故人たちの加護を感じながら、ただ、日々を穏やかに過ごす事だけを考えていけたらいいですね。

のあさんへ

のあさんも、同じ思いを抱えていた事に
不適切かもしれませんが、ほっとしています。
自分だけじゃなかったんだと。

これこそが自死遺族を一生苦しめる根源ではないでしょうか。
自分が悪いのだから、苦しむのは当然と言う思いと、
これしか方法がなかったのだから仕方がないと言う思いがずっと交錯しています。

大切な人がすっかり変わってしまったその渦中にいると、
解放されたいと思う気持ちはどうやっても湧いて来ると思います。

なので、自死と言う結果を予想しながらも、
それを必死で止めようという行動が鈍くなるのでしょう。

この十字架はとてつもなく重く、解放は容易ではありません。
自分を責め続ける事で、結果的にそれが生きる力を生み出しているような気さえします。
どこにもぶつけられない思いを、自分に向ける事で少しでも自分の罪を軽くしようと
してるのかもしれません。

この十字架が軽くなる日が来るのでしょうか。



消えぬ傷跡

突然死、しかも自死。
私も、自死とは一体何なのか。ずっと考えてきました。

世間では、自分勝手で弱い人間のような言われ方をする。
自分で自分を殺すのだから、殺人なのだと。
そして、自分を愛してくれる者に対しての最大の裏切り行為。
そんなイメージでしょう。

けれど、現実に事が起こってしまった後は想像を超えるような世界。
死というものの意味を思い知らされる。

自死をしてしまう状況は、もう正気ではなかったのだと思います。
鬱病が引き起こした最悪の結果。
何もかも全てが負のループのような思考になり、自分の存在に価値を見出せない。
自分が存在する事で、愛する人を不幸にしてしまう。
そんな風に考えてしまったのでしょう…。

そして、最愛の人の笑顔が曇っていく姿を見る事が怖かったのかもしれません。
お互いに相手の事を思いやっていたのに、不幸にもその選択を間違えてしまった。
自死というものが、自分の苦しみを倍にして愛する人に背負わせてしまう事にさえ気付かない程、追い込まれてしまった。
それでもその時の選択は、愛する人への最後の愛情だったのだと思います。

見捨てられたんじゃない、裏切られたんじゃない。
どうでもいい存在ならば、遺書など残したりはしない。
奥様はあなたのことを、とてもとても愛していた。
きっと、そう…。


自死を止められなかった自分の罪。
その後悔は、永遠に変わらないのかもしれません。
ですが、その痛みは最愛の人を感じられる唯一の繋がりでもあるのだと
14年経った今はそう思えるようになりました。
この痛みが消えてしまえば、自分の中から大切な人も消えてしまうような気がして。だったら、今のままでも構わない。今のままがいい。
最愛の人と一緒に過ごした時を、愛し愛された証を私は忘れたくない。

あなたの十字架も、いつかきっと奥様が形を変えていってくれると思います。
そう祈ります。








アニーさんへ

世間一般の自死のイメージはネガな部分が未だに根強いですね。
「自殺」と言う犯罪のような表現をされる事からそれが分かります。

でも一概に全て悪い事とは言い切れないと思います。
もう、ホントに苦しんで苦しんでそれしか選択肢がなかったのに、
これはもう当事者にしか理解出来ませんからね。

苦しみの渦中にいると、もう正常な思考が出来なくなっていきます。
あり得ない異常な状況下に置かれれば、思考も正常でなくなっていくのは
当然でしょう。

そうして起こった自死と言う現実。
遺されたものが背負ったこの十字架、確かに大切な人との繋がりと思えば、
また感じ方も変わってきますね。

この繋がりは永遠だし、大切な人が生きた証は自分が一番よく分かっている。
その証を残していく為にもこの十字架は必要なのかもしれませんね。


プロフィール

るい37

Author:るい37
妻を自死で亡くした40代です。

親兄弟にも言えない心のもやもやを吐き出せば少しはラクになるかなと思い、ブログでも書いてみる事にしました。

いつまでもつか分かりませんがね・・・

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