ここのところの天気は、カラッとした秋晴れとはほど遠い、曇りや雨ばかりで、
自分の心の状態みたいだなと思う今日この頃。
天気も心も晴れないそんな今日、総務部から聞こえて来た会話。
「〇〇さん、今日、来る予定なのに、来てないよ。」
「連絡もつかないみたい。」
どうやら、ある部署で心の病にかかって、医師の診断書を提出しに来る人の事らしい。
「自殺したりしてないよねー。」
「自宅に確認に行かないといけないな。」
「なんか怖いよ。首吊ってたりしたらどうするの?」
僕は自殺と言う言葉に反応し、さらに首吊りと言う言葉に気が遠くなっていくのを感じた。
妻の自死からずっと、自殺関連のキーワードは決して口には出来なかった。
最近、ようやく日常会話で、一般論としての自殺と言う言葉はどうにか発することは出来るようになった。
それでも、「首吊り」
これはムリ。
耳にするだけでも気分が猛烈に悪くなり、立っている事すら難しくなる。
自分がその言葉を口にするなんてまだまだ出来そうに無い。
その言葉を聞くと、
あの日、妻を見つけて、最期を見送るまでの情景が色濃く甦り、心も身体も言葉に出来ない感情に
侵食されていく。
いつか平気になる日が来るのだろうか。
自殺と言う言葉でも以前は同様の状態になっていた事を思うと、
そこからは変化している気がするけど、
まだまだ道のりは果てしないらしい。
どこかで、平気になりたくないと言う自分もいて、やっぱり自分でも良く分からない複雑なこの思い。
やはりこれはもう一生ものか・・・
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るい37さん、
会社の方は心配ですね。ご無事だったのでしょうか?
自死関連の言葉を聞くと、未だに心が苦しくなります。きっと何年たっても、変わらないのだろうと思います。
来週は主人の命日を迎えます。月日が経つのは早いですね。亡くなってすぐの頃の悲しみとは違う哀しみ(心に深くて大きな穴があいたような哀しみ)を感じて、やりきれない毎日です。
TVでのああいったシーンはホントにやめて欲しいと思います。
スプラッターであったり、アダルトな描写は昔に比べると、
かなり制約がされている気がしますが、首吊りシーンは相変わらずリアル過ぎると思います。
例え自殺した人のその姿が映らなくても、その姿を見て立ち尽くす出演者の表情だけでも十分な攻撃力を
持っています。
そうですか、お父様が・・謹んでお悔やみ申し上げます。
近しい人をまた見送るわけですね。心が追いつかないまま、
ただ、事を進めなければいけない。
どうかムリをせずにつらいと感じたら、かまわず休んで下さい。
せめてあの世で、先に逝った人達が一緒に穏やかに過ごしているのを祈ります。
今日も未だに連絡は取れないみたいです。
この会社では、かなり昔に最悪の結末に至った前例があるだけに心配です。
月日の経つのは早いですが、一向に心がついて来ません。
悲しみは全く癒える事は無く、むしろ様々な思いが増えて来て重くなる一方な気がします。
どうかご主人の命日に、少しでもチワワさんの心に光が差し込むといいですね。
想い出に浸りたいけど、悲しくもなる、難しいところです。
るい37さんへ
辛いですね。
私の息子は、特急電車に飛び込みました。
土曜日の夜8時7分、某駅で。
死亡時刻は特急の通過時刻です。
人身事故は、多くなりました。ひどい時は、数日続けてあちこちで
人身事故が起きています。
今日も帰りの電車で反対方向のホームに警察官数人が何やら話しこんでおり、人身事故がった様子。
同じ車両に乗り合わせていた女性が「いやあねぇ。」と言っていました。
この言葉と、自殺という言葉、いつになっても頭がくらくらします。
そして踏切の遮断機が下りているときの警報機の音。
あのカンカンカンと鳴り響く音がだめでした。
最近、少しましになりましたが。
この1か月、兄との行き違いで、息子の死を思い出し、情緒不安定がひどくなっていて、やっと少し落ち着いてきたところです。が、
改めて、息子の死を心の中で整理できでないままだと思い知らされました。
電車に乗らないと通勤できないので避けてとおれません。
某駅に、一度だけ息子が決行した時刻に行ってみました。
暗い闇に引き込まれるような気がして、自分も飛び込みそうで、怖くなってあわてて、はいってきた各駅に乗って帰りました。ちょうど3回忌のことです。
世の中は動いていきますが、自分の心の中では時間は止まったまま、言葉の重みも変わらないままです。
るい37さんと同じく、この複雑な思いは、自分ではどうすることもできないのだろうと感じます。時間の流れに身を任せることしかできませんね。
できれば避けて通りたい言葉です。
自死を選ぶ人が一人でも少なくなることを祈ります。
すう
ご子息は電車ですか、それもまた大変な状況、お気持ちの事と思います。
経験が無いので、何とも申し上げられませんが、その後の手続きや対応も相当なものであったとご推察します。
警報機の音、遮断機が下りる様子、電車が走る様子、どれもこれもトラウマになりそうです。
自死遺族になる前は、人身事故はただ迷惑だなぁと感じていましたが、(ゴメンナサイ)
今は、きっとどうにもならない事情があったのだろうと切なさを感じるようになりました。
希死念慮は消えない状況で、日々、電車を利用せざると得ないのは毎日が戦いですね。
特に心が弱った状態で、その駅に行かれるのは危ういかもです。
突然に大切な人を亡くすと、時間が止まってしまうのは内容は何であれ、みな共通ですね。
時間が自分を変えてくれるのを期待するしか無いような気がします。
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おはようございます。
東海も雨の一日になりそうです。
妻が最期に来ていた着衣は今もタンスにしまっています。
ここまで捨てられなかったと言う事は、もう一生捨てる事など出来ないのだろうと思います。
捨てる、捨てないは自分の心に正直になればいいと思いますよ。
自殺とか心中の記事はどうしても気になってしまいますね。
一般的にネガティヴな印象の出来事ですが、個人的にはそれもひとつの選択肢なのだと思うようになりました。
世間には不謹慎だと言われてしまうんでしょうねー。
ダークな自分を出せる場所は限られていますので、ここではどうぞ気になさらずに吐き出しちゃって下さい。
雨の一日、静かに過ごしたいと思います。
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こんにちは。
捨てなきゃいけないなんて事は無いと思いますよ。
葛藤は当然ありますが、捨てようと自然に思えたら、そうすればいいと思います。
私はまだそう思えないので、しまってあります。
正解など誰にも分からないと思います。
日常の中で、嘘偽りの無い時間が僅かでも確保出来れば、少しは楽になれるのではと思います。